奴婢訓チケット発売開始!
そして昨晩の二コ生では、深夜に関わらず200京ものアクセス、ありがとうございました!

二コ生で、ちょっとうまく伝えきれなかった部分を補足しておこうと思います。
小劇場と商業演劇と廻天百眼、これらは何が違うのか。
つまらない小劇場は自己満足で舞台をつくっている。で、この自己満足には2パターンあると思うのです。
はっきり言って、だめな自己満足とは制作過程での自己満足です。
制作過程が楽しいからつくっている。
制作過程で楽な方を選んでつくっている。
自分が「つくりたいもの」を作っている。

で、その作りたいものってのは本当にお前が見たいものなのかと。
作りたくて、作ることができて、作る過程が楽しいというのは、できあがった物のクオリティにはなんの関係もない。
制作過程のクオリティが高いだけである。

商業演劇では何をつくっているか。
この人たちは別に制作過程の楽しさなど二の次です。プロですから。
それではこの人たちの問題は何か。
それは、「観客が見たいであろうもの」をつくっているところです。
演出家なり脚本家なりの見たいものではなく、観客の見たいもの、しかも観客が見たい「であろうと予想されるもの」を目指してつくられている。
その場その場では面白い舞台ができるでしょう。
しかし、その舞台を観た観客は、5年後、10年後にその舞台を思い出すか?
観客の人生を変えるほどの舞台ができるか?
それは難しいと思います。
何故なら人生を変えてしまうほどの舞台が、普く観客に受け入れられるとは思えないから。

三つの世界を並べるとこうなります。
小劇場 →  自分が作りたいものを作っている
商業 →   観客が、見たいであろうものをつくっている。
廻天百眼 → 私が、心から見たいと思うものをつくっている。

もちろん「小劇場」「商業」というくくりは大ざっぱで、これに当てはまらない場所もあるでしょう。
ただ、私たちは、私たちが真に観たいものしかつくりません。
それは私たちが楽しんでつくるものでも、楽につくるものでもなく、「観たい」かどうかに焦点を当ててつくるものです。

と、まあいくら理念が優れていても、最終的には作品が面白いか否かが私たちの答えになります。
私たちが、今、本当に観たいと思う『奴婢訓』。
僕らと同じものを観たいと思う君が、心の底から観たかった『奴婢訓』。
この夏に、上演します。

 
廻天百眼
廻天百眼劇場本公演『奴婢訓』
日が陰り、屋敷に月光が差し込むころ、のそりのそりと奴婢達が眼を覚ます
乱痴気騒ぎの幕があき、疲れた零時の陰鬱に、淫靡な夢が立ちこめる
廻天百眼による最も美しく、激しく、狂おしい『奴婢訓』
次代の狼煙が今、ここに上がる!

「だれか、あたしの鏡になって頂戴」
 

『奴婢訓』チケット総合
http://www.kaitenhyakume.com/xxx/archives/1691

『奴婢訓』オフィシャルサイト
http://www.kaitenhyakume.com/12stage/12stage13/12stage13.html

『奴婢訓』モバイル
http://www.kaitenhyakume.com/xxx/archives/1702

劇場の闇に現れる料理人、女中、小間使、乳搾り女、洗濯女
葬式をつきつけるべき主人が不在ならば、我々はルールそのものをぶちこわす。
この世でいちばん恐ろしいのは怪物でも戦争でもなく「何も起こらないこと」ではないのか?
家出、退学、反逆児、叛乱するのに思想はいらぬ、燐寸一本あれば良い!
 
廻天百眼の総力を結集して行われる劇場本公演『奴婢訓』、どうぞお愉しみに!
 

◎次回の興行

廻天百眼
0707
『奴婢訓』二コ生
廻天百眼_襦袢クラブ
0727
襦袢クラブ
廻天百眼
0823-0827
『奴婢訓』
 

◎お勧めのお土産

廻天百眼_鬼姫
『鬼姫』2012
サウンドトラック
完全版
廻天百眼
『鬼姫』2012
サウンドトラック
初版
廻天百眼
『少女椿』2012
舞台音源集
廻天百眼_少女椿
『少女椿』2012 DVD
大阪公演記録映像付き

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